何度泣いたら。
 
(2014.7.13. 初稿公開)
 花金なんてバブルは弾け去って久しいけど、金曜日はやっぱり特別だ。合コンも金曜の回が一番盛り上がる。今週一週間、今日のために頑張って仕事を前倒したと言ってもいい。絶対残業させられないように手回ししたのは、新しい出会いのため。腐れ縁を温めなおすためじゃない。絶対、断じて、そうじゃないってのに。無情にもケータイが鳴る。電話の向こうで、半泣きの声がする。  ああ、畜生。 「山田、ほんとにごめん。俺、今日だめになった」  仕事と同じだけ合コンに力を割く男、いいや、漢(おとこ)山田。お前と同期だった幸運はよく分かってるんだ。お前を困らせようなんて俺は全然思ってない。だからそんな顔をしないでくれ。 「なんだよ、大介。まさか恋人ができたとか言わねえだろうな」 「だったらいいんだけどさあ」  本当に、そういう理由ならどんだけ良かったか。前の彼女と別れてから何か月経っちゃったんだろう。今回の合コン、結構本気で期待してたんだけどなあ。 「ふうん。まあ、いいけど。お前金曜日のドタキャン多いからちゃんと予備要員キープしてある。穴開けたら俺が怒られるんだからな」  言いながら、すでにケータイの画面をスクロールし始めている。予備リスト長えなあ。俺もドタキャン繰り返してるとそっちのリストに回されちまうかもしれない。新しい宴会芸でも練習すっかな。 「マジでごめん。埋め合わせは、そのうち」 「おー。あてにしないでおくわ」  手をひらひらしながら、もう俺よりもキープ君リストに気持ちが切り替わってる。薄情すぎる気もするけど、こういうときは助かる。これまでのドタキャン分を全部埋め合わそうとしたら、たぶんディナークルーズくらいは用意しなきゃいけないだろう。それもこれも今日も突然に俺を呼び出して来た奴のせいだ。毎度毎度、振り回してくれる。ディナークルーズはあいつが用意すりゃいいんだ。俺の分まで。  合コンを断って、駆けつけたのはチェーンの安い居酒屋。学生時代から変りばえのない店のチョイス。そして向かいで真っ赤になった鼻をかんでいる女も変わりばえがない。もう知り合ってから八年。学生時代からの友人の朝美。惚れっぽくて、次々恋人を作るある意味で羨ましい体質だけど、毎回長く続かない。 「うう。聞いてよ、大ちゃん。朝美みたいな女は疲れるって言うんだよ。ねえ、言われた通りに電話しないようにしたし、家にだって押しかけなかったのにだよ? 最初はこういう気の利く優しい子がいいって言ってたのにだよ? お弁当、僕の分も作って欲しいって言うから毎日作ったのに、手作りは重いとか言いだすんだよ? 酷いじゃん。毎朝早起きして頑張ったのに。いらないってちゃんと言ってくれたら押し付けたりしなかったのに。お弁当のために台所が糠臭くなるけど糠漬けまで始めたのに」 「聞いてるよ。ていうか、もう聞いたよ。二ループ聞いたよ」  別れる度に泣いて騒いで飲んだくれて、どうしようもなく迷惑な女だ。毎回呼び出されるこっちの身にもなって欲しい。俺は彼女に逃げられた時だってお前を呼び出して愚痴ったりしなかったぞ。一人でせっせと残されたシャンプーだの、正体不明の化粧品だのを処分したってのに。あの時、よりにもよってその掃除が終わろうかってときに泣きながら振られたって電話してきたな、こいつ。俺のことを親友とか言うくせに、その日も自分の話ばっかりで俺が傷心中だってこと一ミリも気づかないで帰ったよな。そうだ、お前はそういう奴だよ。俺のことなんて便利な壁くらいにしか思ってないんだろう。俺にも生活があって、感情もあるってことを分かってないに違いない。 「本当にこの人しかいないと思ってたんだよ」  朝美の目に入っているのは目の前の恋だけだ。どんな駄目な男も全力で好きになって、目いっぱい尽くして、良い所を見つけようとして、ズタズタに傷つく。それでもちっとも恋愛に臆病にならない。その馬鹿みたいな一生懸命さはどこからやってくるんだろう。つくづく不思議だ。とりあえず、ビールお代わりもらっとこう。  五回くらい同じことを話すと、少し気が落ち着くらしい。朝美はやっと大人しくなって冷めきった焼鳥をつつき出した。 「昔から疑問だったんだけど、お前、どうやって男選んでるの?」 「ふが?」  冷めた肉が固いのは分かる。逃げないから飲み込んでから話せ。お前は本当に二十八歳か。 「基準が訳わかんねえんだよ。年齢、外見、職業、性格。全部ばらばらじゃね? 共通してるのは大ハズレってとこだけ」  いろいろ付き合うけど毎回上手く行かない。しかも性格の不一致とかいうレベルじゃなく、テレビドラマみたいな滅茶苦茶な破たんの仕方をして別れる。どうしたらそんなハズレだけ引いて来られるんだか。 「最後のとこが余計だよ!」 「どこがだよ! なんで今日も俺が呼び出されてると思ってんだ。さっきまで号泣してたのはどこのどいつだ」  お、黙った。ちょっとは自覚あんのか。反省しろ、反省。下手な男掴み過ぎなんだよ、お前は。 「で、どういう理由で選んでんの?」 「んー、何となく」 「ああん?」 「あ、でもあれ。良い人っぽい人がいい。優しそうな人」  この脱力感を何に例えればいいだろう。良い人とばっかり付き合ってるんだったらなんで年に何度も俺を呼び出して泣きながら飲むことになるんだよ。馬鹿野郎。 「なるほどね。分かった。いや、分かってたけど。お前は壊滅的に見る目がないんだ」 「でも、みんな最初は良い人なんだよ。優しいんだよ」  返事をする気も失せるわ。だめだ、考えるの止めよう。どうせ分からん。 「あーあ。今日の合コン、可愛い子が揃ってるって言ってたのに」 「大ちゃん、彼女は?」 「とっくに別れた」  今更何言ってんだ。お前のせいだ。お前の。お前と朝まで飲んでた日に抜き打ちで家に来られて、浮気を疑われたんだ。言わないけど。 「そっかあ。もったいないねえ。大ちゃん、優良物件なのに」  へべれけ女は、へへへと笑った。 「そうだぞ。こんないい男はなかなかいない」 「そうだねえ」 「お前は本当に分かってんのかね」 「分かってるよう」  説得力がまるでない。何が「分かってるよう」だ。分かってるもんか。折角の合コンも彼女と仲直りのチャンスも放り出して便利に呼び出されてやるのはどういう理由か。泥酔するお前を見捨てないでタクシーに放り込んでやるのはなんでか。それでも一回も同じ車に乗ったことが無いのはなんでか。お前はちっとも分かってない。全部お前のせいなんだぞ。お前の。 「私も大ちゃんが一番好きだもん」  お前は、絶対に何も分かってない。  何度泣いたら、俺に気付いてくれるんだ。何度泣いたら、俺を解放してくれるんだ。  結局、朝五時の閉店まで粘って店を出た。東の空が白んでる。眠い。だるい。合コンのために木曜まで根詰めて働いたから睡眠不足だ。 「帰るぞ」 「えー、もう一軒行こうよ。ラーメンでもいいよ」 「今、ラーメン食ったら吐く。ほら、車に乗れ」 「やだよう。ラーメン駄目なら飲もうよ」 「いいから、乗れ」  無理やりタクシーに押し込んで、自分も乗りこんでから覚えてしまった行き先を運転手さんに告げる。よし、これであとはお任せ。小一時間ゆっくりできる。朝美は隣でぽかんとこっちを見ている。同じタクシーにすんなり乗り込まれるなんて、危機感が無さ過ぎる。そのことにちょっと腹が立つ。俺はこいつにとって警戒すべき対象の男じゃなかったわけだ。良い人が好きでも、良い人過ぎたら駄目なんて、なんて面倒くさい。 「俺はしばらく寝てるから、お前は家につくまで必死に考えろ」 「へ?」 「目の前の超優良物件を買うかどうかだよ。俺は俺よりお前に優しい良い人なんて知らねえぞ」  もう知らん。これで二度と呼び出しが来なくなるなら、それでもいい。そうなったら、もっと本気で次の恋人を探せる。それはそれで好都合だ。今日一日寝て、月曜に山田に頭下げて次の合コン用意してもらえばいい。バックアッププランは完璧だ。  そのまま腕を組んで目を瞑って、知らない道を行くタクシーに身を任せた。   車が止まって、目を開けた。ちろっと見下ろすと朝美は財布を握りしめている。 「ここまででいいです」  どうやらこのまま追い返されはしないらしい。押し出されてタクシーを降りると、もたもたと降りてきた彼女は俺を見上げた。 「大ちゃん。ええと、あ、糠漬け、食べてく?」  腫れぼったい目の上目づかいは、たいして可愛くもない。それに言うに事欠いて糠漬けか。 「お前なあ、他の男のために漬けてたって散々喚いた後で良く言うよな」 「あ。じゃあ、えっと」  あーあ、全く。俺は甘い。 「いいよ。食うよ。毎日頑張って掻き混ぜて育てたんだろ」 「うん。胡瓜もあるよ」  朝美は笑顔で俺の腕をとってぐいぐいと引っ張り出した。タクシーの運転手に教えるために住所は覚えていたけど、実際に来るのは初めてで、目指しているのが並んでいるアパートのどれなのかも分からない。俺は引っ張られるままに歩いた。頑張って歩いても彼女の歩幅は狭い。ゆっくり歩くのでいいのは助かった。胃が暴れてる。これ以上ゆすられたらやばい。 「朝美、家に着いたらとりあえず胃薬くれ」 「大丈夫だよ。ちゃんとおいしいってば」 「違えよ。車に酔った」 「ずっと寝てたじゃん」 「馬鹿野郎。寝たふりだよ。緊張し過ぎて気持ち悪い」 「緊張してたの?」  冷たいままの手で頬を思いっきり挟んでやった。手汗でべたべただけど知ったことか。お前のせいだ。 「してたよ」  振られたらどうしようかと思って、吐きそうになるくらい緊張してたよ。  酔っぱらいは酔っぱらいらしく、だらしなく笑った。 「大ちゃん、可愛い」 「うっさいわ」  彼女は顔を赤くしてまた笑った。そういえば、失恋した後の顔ばっかり見てたから、幸せそうな顔を何年も見て無かったってことにそれで気づいた。この顔を向けられて、それでも別れたんだとしたらこれまでの男達もたいがい見る目がない。泣き腫らして、飲み明かした後だって、こんなに可愛いのに。  それでも、これからは朝まで泣き明かすようなことはさせない。飲み明かす日は、またあるかもしれないけど。
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